2006年2月28日

オーストラリアの凄さとは

こうしてオーストラリア人と様々なところで接していると、腹立たしいことも山のようにあるが日本人として見習わないといけない所も非常に多く感じる。(ちなみにだけどオーストラリア人が日本から学ぼうという姿勢は全くない。この国には向上心というものはない)

最も日本人とオーストラリア人の違うところは、オーストラリア人は自分達でドンドンと行動する所だと思う。日本人は誰かが何とかしてくれると待っている・信じており自分達は別の存在であるという感じがある。しかしオーストラリアにはそういうものはない。

自分達が支えている・作っている国であるという意識がとても高い。

実際小さな町にもミュージアムがあり、その町の歴史などがきちんと飾られているのも特徴だ。施設的には綺麗なところもあればそうでもないところもあるが、基本的にどの町も誇りを持っている。日本はヘンなところで一律主義みたいなものがあるから、隣町が綺麗な施設だと、綺麗な施設を莫大なお金をかけて建設して中身も何か特徴も出すも、採算が取れず…という田舎は多いだろうが、この国は見た目や面子ではなく、精神的な誇りが高いんだよね。

日本人は見た目、面子であって中身がないというかね。くだらない部分で張り合おうとする。

更にそういう社会参加にも非常に積極的なのが伺える。クライトンに滞在中に何度かみんなが集まり会議をしていたが、それぞれに役割があり積極的な意見を述べていた。日本は形式的なのに比べて、非常に意味のある物だと感じる点が多い。そもそもこういうものは文化の違いもあるだろうし、学生時代でのディベートなんかもこっちでは積極的なんじゃないかと思う。




日本という国は、良くも悪くも暮らしやすい国だ。というのも“出る杭は打たれる”のと同じで、暗黙ながらにレールが引かれており、その上を走る人が無難に生きられる国という感じだ。だからある意味では自分の意見を述べることよりも、人に言われたことに“ハイ”と言える人間の方が無難に上に立てるわけだ。この構図が今の日本をダメにしていると自分は思っているが、大半の日本人はそう作られているので仕方ない所でもある。

でもオーストラリアにはそれはなく、積極的な意見を次々と言い合って、そして情報交換をしどうしていくかを考えて結論に導くというのが一般的なんだろう。更に民主主義的なところが、小さな町であってもきちんと投票をして様々な立場につける所だ。もちろんそれは年金目的とか金銭的なものではなく、よくしよう!と参加する、その志が違うと思った。


そして何か社会参加をすることがとても一般的なことであるというのも違う気がする。オーストラリアでは自然団体などを初めて様々な小さな活動が行われているようだ。そういうものに参加してよくしていこうとする人は多いのだろう。

なのでオーストラリア人というのは、自分達の住むエリアから国まで、様々な視点から社会参加をし、更に変えていこうと行動しているという感じがする。もちろんこれは都会と田舎、そして白人とその他でも随分と違う話だとは感じるけどね。

でも基本的には、国民のための国家であるという印象は強く受ける。




もちろんこれは日本にはないし、素晴らしいことだと思う。


日本人は良くも悪くも無関心。更に人種も基本的には大和民族が多く、ほとんどのマイノリティは本当に小さな規模。だからこそ変わりにくい構図なのではないかとも思ってしまう。価値観の多様化が進まないというか…。しかし日本が今変わるレベルにあるのか?と言えばないだろう。というのも就職もオーストラリアよりしやすく仕事もあると思う。そして食べ物だってあるわけだし、物だってある。

不景気といったって車は新しい車ばかりで黒煙を吐いているような30年も前の車はほとんどない。

そんな日本で不満を言う人はやはり少数になってしまうんだと思う。多くの人が理想への満足は得られなくとも、そこそこで生きられる国が日本という国なのだろう。

しかしこれはこれでやはり問題がある。日本人は何か起きてから行動する!というパターンが政府の政策にも多く見られるが、では愚痴を言っているような人達がどの程度のレベルか?と言えば同レベルだろう。愚痴でそれらしいことを言っても、言っていることはテレビニュースの内容のまま!っていう人が多いもんね。特に田舎…。


というか行動している人間は、既に一歩も二歩も先を見ているはずだ。そして今の時代、情報に疎い人が損をする構図がますます大きくなっている。遅れている人はずっと遅れっぱなしだ。その差も気になるし、だんだんとネットという情報網が国を変えようとしている。

日本はオーストラリアと違った意味で変わっていく段階にあるのだろう。少しずつ戦後の洗脳世代の影響力が薄れるにつれ、価値観の多様化も出ているだろうし。ただネットを見ていて危惧するのは「情報の事実が判別しにくいこと」。特にネットの発展と共に生きてきた世代ならわかるだろうが、実際に嘘も多い世界だ。生まれたときからネットのある世代はその情報の判別がつけられないだろう。

ある意味では簡単に洗脳を受けやすいという欠点がある。かといってマスコミも都合の良いニュースしか流さないので、ネットをしなくても洗脳されてしまうか。。。


でもいろいろな社会活動をされている方、したことがある方ならわかるだろうが、日本人というのは本当に無関心である。

散々そうなりますよ!と言っても「あーそうなの」程度で何もせず、実際にそうなると“なんだかいやになっちゃうよね”と愚痴って終わり。

自分達が変えていこうなんていう気のない人が多すぎる。

しかしこういう人達とそうでない人達の差が開いている社会。日本はどうなるんだろうね。

新しい日本という国になりつつある気はする、きっと5年単位で確実な変化は見えてくると思う。でも根本的には行動する人間が居ない限りにはなかなか変わらないと思うね。国を変える事ができるのは国民だけであるということを、多くの日本人は持ってほしいね。

更にオーストラリア人なんて別にスポーツであっても、言うほどずば抜けた結果もなければ、資源があるってだけで、ほとんどの工業品は輸入に依存しているわけだ。なのに自信満々である。

日本人はももっと自信を持ってもいいと思う。これだけの日本製品を売り出して、そして何が違うかって、某国製とかだともう壊れている部分が多いんだけど、日本製品は15年ぐらい経っていてもきちんと機能していることなんだよね。この違いって見ていると日本人って素晴らしいとしか感じられないし、日本製はやっぱり高くても長く使えるって思えるんだよね。

見た目は似てても中身が違うのが日本製なんだよ。見た目じゃない、中身だね。

でも中国製とかにシフトしているメーカーが多いことは本当に悲しいね。


自分は帰国してから死ぬまで日本製を優先して買うよ。分野によってはね…弱い物もあるけど、基本的には日本製を買う。自分達の国で自分達の作った物を買わなかったら、自分達の仕事が無くなるわけだしさ。そういう気がしてきた。

オーストラリア人はだからMade in Australiaをものすごいうたって売ってます。ほとんどは食品だけどね、日本と違ってそれを見て買っている人が本当に多いね。日本でもCD-Rなんかで日本製!とでかく書いているメーカーがあったけどあんな感じ。とてもいいことだと思う。自国の物を愛用するということは大切な事だね。日本もそう書いて売れるのなら、いい時代になってきたのかもね。

2006年2月25日(土曜日) 15時43分55秒

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