11/28 合計一週間CLAYTONにいることに決まる。少し語っちゃう。
ここに着いたとき、これからはペースをあげると言ってみたら一転して、久しぶりに親切な人と出会ったわけだ。
ここまで、考えて計画している事と、起こる出来事は反比例しているのかと思うぐらい違い、不思議なものだと感じる。(なんか変な日本語だよね…。)
確かに自分の人生とは、崖っぷちに立たされると何か幸運が起こる事が多い。これは良いことなのか悪いことなのかは知らないが、幸運の持ち主なのかもしれない。
今朝は5時半に起きてトイレに行くと、ポピーとマリアンが散歩していた。その時は挨拶程度で終わり。
今朝はもちろんこの町を出るつもりだったが、心の傷の修復にはもうしばらく時間がほしかった。そのため出る気は昨日の日記に書いてあるように、明らかになかった。自分の中では旅をしている以上、この町を離れる覚悟はもちろんある。一生こうして暮らすつもりもないし、日本に帰国したいというのはある。しかし、ノースマン以降、本当に心から癒される人とは出会っていない。当初勧められていたバッパーは悉く潰れていたし、アデレードでも一週間休むと言いつつ二泊で出た。何よりナラボー平原という過酷な道とその後の人種差別エリアでの出来事などからも辛いことが続いていた。
孤独というものは終わりがあれば耐えられるものであって、終わりがないと耐えられない物だ。もう少ししないと帰国は見えてこない。まだ自分には耐えられる自信はなかった。
何よりハッキリ言うがナラボーも知らなかったからこそ走れたような物だ。もし一度でもバスや自動車でもなんでもいいから見ていたら絶対に走れなかっただろう。そのぐらい今考えたら、バカげたことをしたものだと思う。ただ肉体的にハードであるというよりも、もう人が居ないということの恐怖が頭にあり、どうしょもない状態なんだ。これって自分だけだかな、チャリダーってのは強者は次元の違うことをしているからその人達は別として、国内でやって居るぐらいの人だとわかってくれるかな。
もう店のない道は本当に走れない。
横断は決めたことだから必ずする。これは男として日本人として、自分が決めたことぐらい最後までやり通せなくてどうするんだ!という気持ちもあるし、病気・事故など例外的なものは除いて、逃げて帰るのだけは恥ずかしくてできない。
でも、過去できたからこれから新たにできるかどうかは別の話なんだ。更に今はもう町の続くところだ。お金があれば物は手に入る。これを一度知ってしまったらその前には戻れない。お金があっても物が買えない事が怖くなったらオーストラリアの旅は本当にできない。でも怖くなった以上、もうすべきではないと思う。できない人間が無理をすればどこかで困る事態になる。
まあこんなことを書くこと事態が病んでいる証拠かもしれないね。
結局朝から、心の状態が良くない。やはり走るのであれば期間を決めてきちんと走るという方がいい気がするが、もう後の祭りなので、とりあえずは休む方向でいた。
しばらくしてから、天気予報だけ確認してマリアンのところにいろいろと相談しに行く。マリアンのキャラバンにはテレビはない。彼女にとってはテレビは不要な道具らしく、ラジオと本だけで生活している。彼女は鳥の本をたくさん持っており、それを読んで鳥に関しての知識を増やしている。
そして行ってみるとラジオが流れて、ポピーのご飯というか肉ね、それを冷凍にするために切ったりしていた。
『今忙しい?』と声をかけると「いいえ」ということで、ティを出してくれたので飲みながらいろいろと話す。うまく説明はできなかったが、このオーストラリアであった過去から今の精神状態の悪さなどをなんとか絵を交えつつ説明した。今は心を癒す時間がほしいんだとうまく説明して、その後このキャラバンパークはディスカウントはある?と聞くと、「一週間泊まれば一泊は無料だよ」と教えてもらう。6泊分で7泊できるということは一泊30ドルで済む。
更に加算してももちろんできるから、あと3泊の料金で4泊できるよと教えてもらい、即断でそうすると伝えておく。
ということで金曜日まで今週はこの町に滞在することで決まった。ただしスーパーマーケットがないのでどうしようかと思うが…今日に関してはマリアンがいろいろと余り物をくれたのでそれを食べることにする。
よく日本人にはライスは食べる?と言われるが、根本的に米文化のないオーストラリア人には日本人はこの米しか食べないということは知らない。なのでそれでもらってしまっても、はっきりいって米の種類が違うのでまずいというか口に合わないのでもらわないようにしている。
マリアンがそして10時になったらアデレードに行くからというので、自分も連れて行ってくれるのかと思ったら違った。ということでマリアンは支度するので、ここでお別れ。夕方には戻るというのでまた夜にでもと思っている。
その後は朝飯を作って食べる。今朝は目玉焼きにご飯にみそ汁とオレンジだ。日本人には涙ものの食事だ。
食べ終えて片付けをしたら自宅に連絡してあと四日間この町に滞在して休むことだけを伝えておき、戻ってこうしている。
2005年11月28日(月曜日) 10時45分27秒
その後だが漸く、なんていうか自分の場所を手に入れたような感じで、一日ゆっくり英語の勉強をしていた。英文作成をして、とりあえず英文法と単語数をドンドン増やす。
こういうときどう話せばいいのかとか、山のような例題はある。それを一生懸命作っていくだけだ。決して英語のテストではないので正しいのかどうかは実はわからない。
ただこれで確実に相手に言いたいことが伝わるのであれば、それでOKとする。
とりあえず苦手苦手と思っていることよりも、この英語の国に居る以上、そんなことを言っていても何も始まらないし、周りもだからって日本語で話したりとか、何かしてくれるわけでもない。やるのは自分しか居ないのでがんばって昼間の時間はのんびりと勉強をしている。
だから個人的には二週間でも3週間でも勉強がある程度まとまるまでは実はここでやりたいんだ。
なぜかってあまりの自分のめちゃくちゃな英語に腹立たしいんだ。なんで俺はこんなにもできないんだ?と自分で呆れ返っている。こんな自分がバカだったなんて、恥ずかしいことだ!とかずーっと思ってきたからここでやりたいというのはあるよね。
夕方になって、出前一丁のラーメンに玉子を落として、あとはマリアンからもらったラム肉を焼いて食べて終わり。基本的に動いてないのだから食う必要性はほとんどないしね。自転車に乗っているときラムもいつもなら脂身も食べてしまうが、今回は捨てた。無駄なカロリーは摂取しないようにだけは心がけている。
以上。ということで本当に一日中勉強していただけの一日だったけど、漸く勉強ができてうれしかった。
勉強ができてうれしい。。。。なんて
人生初だな。
p.s.テレビもないしネットもないし漫画もゲームもない上に、仕事もなければ勉強しかすることがないんだよね。こういう環境に置かれると人はなんでもできる物に手をつけたがるのかな。
2005年11月28日(月曜日) 18時54分23秒
CLAYTON付近について少し書く。CLAYTONはもう12月にもなるというのに本当に涼しい。日中は上がっても23度程度、朝晩は15度前後になる上に、南極からの風?がドンドン吹き込むので、風がまず強くそれともとてつもなく涼しい。そのためエアコンが無くても十分な町だ。とてつもなく涼しいというか寒いぐらいの風が吹く。オーストラリアの広大さを感じるね、こんなに涼しいところがあれば45度にもなる場所がある。不思議なものだ。
キャラバンが暑いのなら窓を開ければ大型のエアコン並の冷却能力がある。そのぐらい涼しく過ごしやすい。これからもっと南下すればもっともっとそうなるだろうし、きっと避暑地としてオージーから利用されたりするんだと思う。
このCLAYTONの周りはほとんどが牧草地や小麦畑が広がる場所で、人はほとんど住んでない。この土地に来る人はキャンプをしに来る人と海水浴ぐらいだろうと思う。
本当に静かな町だ。自分の生まれ故郷の長野に戻ったような感じだ。都会は物が溢れている。でもこういう静かさはない。自分は物が溢れている場所にいても安心しない。どちらかといえば静かな方が心から休める。
もし静かな場所がいいのならCLAYTONは良いところです。ただし、食料は手に入らないので持ってきてくださいね。ベリースモールタウンっつーやつですので。
アデレードからも150kmかそこらだと思うしね。オーストラリアでは150kmはたった!!!!ですよ。たったね。
一度じっくりと考えたかったので考えているんだけど、実はシドニーまで着いたらその後どうするの??という点ね。
というのも、シドニーに着いたらそんなに滞在することなく、そのままカルグーリーに戻りたいという気持ちは全く変化はない。あまり長いことNSWにいるつもりもないし、アデレードやメルボルンにも戻りたいという気持ちは全くない。
とりあえずもう一度キャンバルダに戻り、その後無事を報告したいのでノースマンにはどうしてももう一度行ってきたい。
でもその後エスペランスを目指してパースに戻るとは言ったよ。。言ったけどさ、自信ないよなーーーーー。。。上にも書いたけど地図を見るとまた167kmとか145kmなんかが普通にある。もう走れる自信がない。一言で言うと怖い。
一つ考えているのは、カルグーリーに着いたら、キャンバルダまでは57kmなので問題なし。その後ノースマンに行くのも132kmぐらいトータルであるけど、何とかするしかないし途中ロードハウスもあるし、一度走っているので言うほどの問題は無しと思う。
実はその往復だけでパースに戻ろうかと思っている。
要するにカルグーリー → キャンバルダ → ノースマン → キャンバルダ → カルグーリー → 電車で移動 → パース
というコースで帰国するという方法だ。
その場合、シドニーで旅を一度終えるわけだが、テントとバーナーなどの一部のキャンプ道具はすべて日本に送り返す。寝袋はあった方が絶対に良いので、これはとっておき、飯盒も大事なものなのでとっておく。キャンバルダとノースマンではなんとかバーナーが無くても生活できるとわかっているわけだし、荷物が軽くなれば132kmも精神的には全く違う物になる。
じゃあそれならパースまで走ればいいじゃん!!!!!と思うだろうが、パースまでといっても距離にして最短で1422kmある。さすがにこの距離を軽量化してテントもなくMTBで走れと言うのは無理。かといって重い荷物でももう無理。決定的なのが真夏であるという悪条件。南下するので涼しいのは確かだが、自分にとっては涼しいはがんばろうという気を起こさせない。
だって涼しいところが希望なら日本に帰ればクソ寒い時期で最高だろ?。
なんでこんなに弱気になったかってスポークも折れたり故障が続いたことで、無人区間で何かあったらと思うと怖くなっているんだよね。かといってタイヤを持って運ぶのは嫌だしさ、距離的にはカルグーリーからノースマンまでなら往復400km程度。それを考えれば故障のリスクも少ないし、タイヤも今のタイヤで日本まで持って帰れるだろうし、一度走っているから道もどんな感じかわかる上に、町も知っているからね。
何よりこのまま報告せずに帰国したら絶対に後悔するってわかるし。
いろいろとトータルで考えるとそのぐらいがベストかもしれない。無理する必要はないでしょ。横断さえ自力で終えたんならさ。もう景色も何も楽しくないあのエリアは走りたくないよ。
以上当初より走る量をドンドンと減らしているけど、そのぐらいもう無理っす。知らないってのは幸せなことだったと今考えるとそう思うよ。無茶やれるのは知らないからであって、知るとできないもののような気がする。
とりあえずは横断に全力を投じるが、それが終わったらもう終わりだ。すべて終わり。後は後片付けをしてとっとと帰るよ。
2005年11月28日(月曜日) 12時18分35秒
少し前の話を記録しておきたいので書いておく。
ふと思ったが、アデレードですべてのT/Cを換金したとき、書いたのはサインだけだった。もちろんパスポートは提示したがそれだけだった。パースの換金所では、いろいろと連絡先などを書かされて、ホテルというところにホステルの名前を書いたら
「ホステルだってさ、ケッ!」
ぐらいの対応をされた。つーかホステルで何が悪いねんと本気で思った。いや前から書いているけどパースほどの都市では観光客が来る。更に世界中からの客を相手にする換金所じゃないですか。そこで英語が通じないだけでバカにされるわー、どこに泊まっているか書けっていうから書けば、ホステルだってさーみたいな態度を取られるわ、最悪だった。
どうしてこんなに気分が悪くされなきゃあいけないのかと思う。つーかガム食いながら、ついでに唇にピアス着けたバカ女だから仕方ないけどさ、もう少し仕事に対してプロ意識を持てよって感じがしたな。。。
アデレードのところは普通です。本当にゴクゴク普通の対応でやって終わったよ。むしろ親切なぐらいで気持ちよかった。
ただ自分は今回紙幣がいくつかの種類がほしかったので、細かく指示した紙を出したけど、20ドル以下はないといわれて結局大半が50ドル紙幣になったけどね。100ドル紙幣は基本的に流通数が圧倒的に少ないので、奥の金庫から出してきたぐらいだ。もちろんそれも単独ではダメらしく、もう一人の男性もついて行った。開けるときにはもう一人が必ず見るとかいう決まりがあるのだろう。
100ドル紙幣はなかなかお目にかかれないのでT/Cの交換の際に言うともらえますよ。ただ嫌な顔をされるかもしれませんが。。。自分はかなりの額だったのでどうでもよかったのかな?
でもオーストラリアに来ると日本人の勤勉さがいかに凄いものか、忠実かというのがしみじみわかるよね。本当にまじめ!。
だってさ、コンビニのレジの兄ちゃんがアイス食いながら対応してたらどうする?クビになるでしょ。なめんじゃねー!!って思うよね。普通だもん。大手のスーパーでもガムを食いながらは普通だし、人種差別も平気なので(笑)、すごい国ですよ。
アジア人が物を買うだけで、レジを通ると、その後商品が投げられるんだから、全くたまったもんじゃないよ。
オーストラリアは決して人種差別のない国ではないですから!!!!
でもすべての人がそうするわけではないし、ハッキリ言えば一部です。本当に少数ですが、ゼロではありません。
2005年11月28日(月曜日) 18時42分47秒
さて余談という日記からは外れるので最後かな。朝の話で一つ
マリアンに人種差別について聞いてみたんだ。すると彼女は「そうよ、このエリアはオーストラリアでワーストの人種差別地域」と教えてくれたのは、なんとノースマン近辺から、ポートオーガスタまでだった。その付近はアボリジニーをかなり迫害して追い出したエリアらしい。
ということは、キャンバルダで居なかったのも、キャンバルダは英語で言うと「レイシスト タウン」ということなのかな。そしてこの先の町のその次のであるMeningieもレイシスト タウンだと言っていた。ただこれ以降はほとんどなく、ビクトリア州に入ればドンドンと無くなっていくよ、とも教えてもらった。それは助かる情報だけどアジア系移民が増えるんだからいちいち気にしてられないでしょ。
でも個人的には、セデューナからポートオーガスタまでは本当に最悪の地域だった。自転車で渡る人はできれば海沿いを走った方が少ない気はするけどね。あからさまな物はほとんどないけど空気が悪すぎる。「頭の悪い白人の田舎者が偉そうにたまってる場所」という感じがする。何度も言うけど「自分の能力の低さを人種差別でしか解消できないやつは本物のバカだ」
自分の能力に自信があり、満足した生活を送っている人はそんなことはどうでもいいだろう。愚か者だけがいつまでも他人のせいにし続けるだけだろ。そんな暇があるなら勉強でもしてろよって感じだ。どの民族が優秀であるかより、問題は個々が優秀であるか劣ってあるかだけだ。白人でもクズが居れば、素晴らしい人もいる。アボリジニーだって働いている人もいれば、酒ばかり飲んで何もしないどうしょもないやつもいる。黒人だってアジア人だって同じ事だ。ダメなやつは人種問わずダメなんだよ。
俺は日本人としてそれだけで貶されたら怒る。こっちに過失があるのならともかく、おまえらの国の工業製品は日本製がどれだけ占めていると思ってるんだ?と言いたくなる。農場では日本は劣っている。だから経済はバランスよく保たれていて、どちらが上だとか下だとかはないだろ?。外交・政治・政策がダメな日本はそれだけでは片付けられない物もあるが、イチ日本人とイチ オーストラリア人の個々の問題ではすべて関係ない話だ。
つまり平等なんだよ。同じ人間で別に上も下もない。なのに黄色と言うだけで差別するのなら怒るよ。工業製品が作れないのに、日本人に対してバカと言われる筋合いはない。
しかしムカツクのは根性なしのヘタレなんだ。んなに不満なら自力で追い出してみろよ!何か言ってこいよ!と思う。でも嫌がらせしかできない、口で言えないヘタレばかり。本当に人種差別主義者ってのは劣っているというレベルではないほどの欠陥がやることだとこの国でつくづく感じた。ただ悪い事ではなく、人として恥ずかしいことだよね。なんていうか自分が愚かですよーとアピールしている感じで嫌だね。
それをオーストラリアで知ったのはいい収穫だったんだろうと思う。
2005年11月28日(月曜日) 10時45分27秒

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