人種差別
海外旅行で最も気にしないようで気になり、そして考えてしまうのが人種差別である。
日本に住んでいれば、あまり接することはない。しかし海外に出ればそうは行かない。
韓国に2週間ぶらぶらと旅行したが、差別もされたが救われたことのほうが多かった。今は知らないが4年前の話なので、そんなに実情は変わらないのではないかと思う。
日本のテレビでも韓国に関してはよく目にするが、自分はマスコミというのはでっち上げが多いというイメージがあり信用していない。たぶん今の状況で行ってもあまり違いはないだろう。韓国に日本人なんてたくさんいるし、そこに矛先が向くとは考えづらい。ちなみに若者は基本的に日本人には興味津々という感じで親切に接してくれた。逆に中年ぐらいの人は、差別してきたしその世代間の差はあるんだと思う。
年寄りの人だと韓国の人は日本語が話せるので、いろいろと聞ける。戦争に関してとなるわけだが、賛否両論だった。「いつまでも敵対するより友好的に招致してこなかったから、日本人の観光のお金を集められなかった」という批判的な意見も聞いた。ただそう思う年寄りは少ないとも言っていたが…。なのでやはり国と国民というのはかけ離れたものであると感じることがとにかく多い。
オーストラリアはどうなのか。実際に調べてみると半々ぐらいの意見がある。差別された、そんなにないよ!と分かれているが、オーストラリアは差別されたという意見が多い。でも自分は普通の観光旅行者でもなければ、労働者でもない。ただの旅人だ。それも明らかなね。
そんな者に対して差別をするのであれば、最悪の国となるだろうし、そうでなければ最高の国という印象をこれから持つことになるんだと思う。しかしこれは個々の問題だと思うし、国全体がそうであるわけではないと、常に思いたい。
このサイトでは事実は伝えるつもりだ。差別されたなら差別された内容を書き残したいし、良いことは良いこととして伝えたい。実際がどうなのかは体験しなきゃあわからない。ただ自分は過去の経験からすれば「世の中、困っているものに対して人種がどうのなんていうやつはそういない」と思っている。仮にそんなやつが居るなら、そいつは人間としてクズだと思う。それは国籍・人種問わずだ。そんな人間と出会わないことを祈りたい。
話は変えて
自分はできる限り何かして貰ったときには、握手をするというのを心がけている。なぜかはわからないが、人と体が触れあうと深く記憶に残るからだ。言葉にはない体感がついてくる。だからこそきちんとお礼を言って別れるときには求めることが多い。断られたことはないし、喜んでしてもらえるので遠慮せず手を出すのは結構いいものだと自分は思ってしまう。(ダメな国があるのだろうか)
逆に差別されたときは、気分は悪いが無視して考えないのが一番だろう。相手にするだけどうせバカを見る。同じレベルで話をしても意味がどれだけあるのかと思う。どうしても腹立たしいなら、背を向けて日本語で声を出さずに愚痴って、中指でも見えないように立てて我慢すべし(笑)。
しかしオススメではないが、自分は一度だけ耐えられずに怒鳴りつけたことがある。相手は自分のわからない言葉でなにやら言うので、こっちも日本語でボロクソに言ってやった。向こうも不機嫌そうだが、そりゃーお互い様だ。別に英語圏だから英語で対抗する必要はない。下手に言っても、なまった英語でバカにされるのがおちなら、日本語で言いたいことを言っておけばいいかと思う。母国語が日本語である以上、英語(他国語)が相当流暢であれば別だが、そうでなければ英語で議論しようとしても太刀打ちはできない。だったら日本語で言いたいことを言って、通じなくてもスッキリして、向こうが「何か言ってやがる」ぐらいで苛立たせればいいぐらいで引けばいいだろうしね。
ただこれはケンカに発展したら知らないので、勝ち目がないなら我慢すべし。自分は結構ケンカならいつでもやってやるよという気持ちが強いタイプなので、あまり怖いと思わないが、ケガの保険や警察沙汰とか考えると、絶対に得策ではないだろうな…。
ということで、まとめれば差別はどの国でもある。日本だって名のある差別国だろう。日本人は「ふつう」という基準が大好きで外れたものを差別したがるしね。だからどの国であって差別はあるし、意識せずに普通に接してくれる人も多くいるというのが現実だろう。
更にインターネットもだが情報というのは、人が印象に持ったものが強く書かれて残るため、一見するとその国全体や大多数がそういう思想を持っているかのように思われそうだが、現実は絶対に違う。国と国民や、ニュースやネットはあてにならないものだ。そのとき、出会った人がたまたまの時もあれば、親切なときもあるだろう。
ただ嫌だろうが基本的には何か言われても無視すればいいと思う。相手にするのは最も馬鹿げた行為だろうしね。
自分はそう思っている。
